狂物語 1
- 日付: 2016.1.23
「国風展の準備、忙しくしていますか?」
西暦が2013年になって間もなくいただいたメールは新年の挨拶ではなく、年始早々の大型展示会のための忙しなさを伺う英文のメールでした。
愛知県岡崎市の大樹園で修行させてもらっていた数年間にインターネット上で顔を合わせたことのないアダムというオーストラリア人の方とメールや写真のやり取りをするようになりました。
名古屋の吹上ホールで開催される銘風盆栽展や東京の上野美術館での国風展の審査が主な多忙の元でしたが、年明けの盆栽業は格別に忙しいのです。アダムさんと気狂の間ですら忙しさを伺うメールが1月の定型文のようになっていました。
定型文の挨拶には定型文の返しがあってもよさそうですが2013年の僕の返事は、それとは大きな差異のあるものとなりました。
「今年は国風展の準備をしていません。海外へ行こうと渡航準備をしています。」
フェリーでロシアに渡り、ウラジオストックからシベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し「各停車駅の付近で盆栽を見つけれたら最高だ!」そんなことを企ててロシアのビザ申請用紙を書いている最中です、と短くない翻訳時間を要して英語で説明しました。
このときロシアのビザ申請用紙には入国日、時間、宿泊先、チェックイン時間、電車乗車日、時間、途中下車駅名、到着時間、宿泊先…。全てのスケジュールが出来上がり、なおかつそれぞれの予約が済んでいる状態でないと滞在資格の申請ができなかったのです。
気狂が常日頃から切望しているスケジュール管理の外部委託が未だ成されていない状態では、経験を超える努力と集中力を搾り出さねばビザ申請用紙を完成させることができないと自覚していました。
「大陸横断鉄道ぶらり途中下車の旅」という夢を、1つ目のユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道で実現するための最初のハー ドルだと思い、今までの限界を超える努力をする決意をしたところへアダムさんが「オーストラリアへ」のお誘いメールを送ってくれたのです。
試しにビザの申請をしてみると返事をしてから、小一時間くらいアダムさんから「オーストラリアへ来るべきだ」という熱いメールをいただきました。
彼の奥さんは日本人で元看護師だから、「英語力のなさも持病のてんかんも心配いらない」とか、「メルボルンは日本の黒松や真柏もあり、なおかつ気候も合ってる」とか、そんな熱いメールのやり取りの合間に唐突にこのメールを送りました。
「1年のワーキングホリデービザが取れたからオーストラリアへ行きます。」
アダムさんもかなり驚いていた様子でした。ロシアでは1週間の観光ビザを取ることにも心が折れるくらい苦労をして、未だ申請用紙すら書き上げていなかったのに、オーストラリアは1年の就労ビザが小一時間の友だちとのメールのやり取りの合間に取れる、なんて素敵な国なんだ!
彼の最寄り空港を聞き、意気衝天の勢いで航空券を予約して「2月13日の昼頃着くのですが空港からアダム邸まで自力で行ってみようと思う」とアダムさんにメールしました。
8歳のころから『虹の彼方に Over the Rainbow』(ミュージカル1939年)や『オズの魔法使い』の言うところの虹の彼方、どこかの夢の国を心に抱いて、英語の教材を親にせがんだりしていました。
そんなころから知らない土地に行っては『虹の向こう』を感じてはいましたが、同時に『虹の彼方』ではないと欲や好奇心のような気持ちは常にどこかに潜ませていました。
約20年の時を経て夢に見た『虹の彼方』へ行くと決めて、にやにや顔を抑えられたかどうかは別として、大樹園という黒松盆栽のメッカのような金看板の元で丁稚奉公を始めるときと同じような高揚感に心を躍らせて荷造りをしました。
気がのっているときはいい仕事もできますが、調子に乗り過ぎている状態というのが問題だと理解はしていても、度が過ぎていたことに気づくのはいつも後の祭りで、いざ空港へ行くときに、度が過ぎていたことに気づき始めたわけでもないのに、言いようのない不安に駆られたのでした。
チャックインカウンターで荷物を預けて身軽になったはずなのに気分が重い。
国際線のチェックが厳しい税関を通るからというわけでもない。
空を飛ぶ巨大な鉄の塊が信用できないというのも原因の一つとは思うけれど、長年夢に抱いた見知らぬ土地への好奇心よりも、言い表せることのできない不安が強いのか。。
しかし機内に乗り込むといくらか気分が良くなりました。
キャビンアテンダントが美しくて美しくて。
日本とオーストラリア・メルボルンを結ぶ直行便へ乗り込むと10時間以上狭い機内でおとなしくしていないといけないので、ほぼ中間地点のシンガポールへ寄ることにして選んだシンガポール・エアラインは、スカイトラックス(Skytrax)というイギリスの航空サービスリサーチ会社で最優秀航空会社賞に何度も選ばれ、毎年上位三社の常連会社だったのです。
シンガポールの伝統衣装サロンケバヤが客室乗務員の身体のラインに沿った曲線美を描き、素敵な笑顔を添えて挨拶をしてくれる。オシボリをくれる。いただいたワインがやけに美味しくて。。。
気分が良くならないわけがない、完璧なサービスでした。
シンガポールで少し観光しようと思っていましたが、シンガポール・チャンギ空港で遊び過ごしてしまいました。美味しいものを食べて、シャワーを浴びて、身体を十分にほぐしてからさらに5時間の飛行でメルボルンです。
しかし、離陸直後に冷や汗でシャワーを浴びたような体に仕上がりました。
日本人がいない。言葉が、わからない。
やばい、死んじまう自信がある。。。
《続く》