患った 平成23年

2011年、26歳のときに医師に癲癇(てんかん)と診断されました。脳挫傷の後遺症で脳内に傷があり、突発的発作で体が動かなくなり、ヒドい場合には意識もなくなるそうです。薬を処方されましたが、処方された抗てんかん薬の強い副作用にことごとく悩まされることになりました。何度か薬を変え、医者を変え、三人目の医師に処方された4つ目の薬で今際の際を彷徨うことになりました。

定期健診で病院に向かう道中で、ヤケに体が重いと思っていましたが、必死な思いで病院たどり着き検温すると驚愕な数字を目の当たりにすることになったのです。40℃を超えた体温計を見たのは初めてでした。

アレルギー反応の強烈版のようなスティーブンス・ジョンソン症候群という国が難病に指定していた副作用です。皮膚全体に赤い発疹が出たあとに、火傷のようにただれて水ぶくれになったのですが、皮膚というのが口内胃腸等身体の内側も全て含むわけです。意識朦朧とする中、難病さんは中毒性表皮壊死症へと進化を遂げたのですが、名称が変わったところで何も心身に響くことなく、医師や看護師さんがそばで何かしていることに「ありがとう」も言えず、他人事のように薄く、小さな視界を傍観することしかできませんでした。

意識が戻ってから、やっとの思いで1cmほど開いた口に時間をかけて流し込んだ全粥の原型を留めていない米粒ですら激痛に苦しむ「皮膚」の有り様に、まだ生きていることが不思議なほどでした。

多少回復した後、しかし病院のベットでどれだけ時間を過ごしたのか自覚できない状態で、痛みすら「生」の実感であり「死」という生命の終着を嫌うでもなく、死ぬことへの「生」の一過程を受け入れてもいいように感じていました。生きることに絶望した面も有りましたが死ぬことを恐れたのではなく、死に至る生の一過程を「望んでいたかも」と良しとしていました。

お見舞い花

気分をハイにする薬を処方してくれた担当美女医と家族や友人のお見舞いのおかげで邪念を霧散させてもらいました。

 

服用していた抗てんかん薬の血中成分に対して自己免疫力が攻撃していることが瀕死の原因だそうです。医師団の推奨した対処法は人工透析でした。血液を出して濾過器にかけ、綺麗な血液成分を足した血を体に戻す。

人というのは、凄いことしますね。。。

 

hemodialysis

 

 

 

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