去った 平成25年

 

「サングラスをかけてみなさい」

 

もう二度と抗てんかん薬を飲みたくないと言った私への主治医の返答で反射的に出た表情は、『キョトン』の模範解答と言うべき非の打ちどころのない『キョトン』に仕上がっていたはずですが、主治医は心に何の波風も立てず、淡々と理由を説明しだしました。

詰まるところ、私のてんかん発作は光に強い反応を示していたので、濃い色のサングラスを常に着用していれば、もしかしたら発作が起きないのではないか?という希望的観測による提案でした。ただ、薬を服用しないこの方法は医療行為とは言えず、発作をコントロールできているという医師としての保証はできないそうです。

医者から出された服薬拒否の条件は生涯車の運転禁止、お風呂やプール、海や川など入水禁止と夜8時間寝ること。。。

ただ、一度でも発作を起こしたら、また薬を飲まないといけないと言われましたが、「飲まなくていい」だけ耳に入れることにして安心することにしました。

血液透析と合わせて投薬されていた薬は自己免疫力をなくす劇薬だったそうです。国が難病指定する症状だけに、病院側も多くの医師で会議を繰り返し対処療法を考えてくれていたそうです。

そのためか生存確率20%で、生還しても失明等重い後遺症を高い確率で残す難病だったそうですが、私は皮膚にアザが残った程度でした。

発症から治療の後の自己免疫力回復までの身体を動かせない期間は約4ヶ月におよび、4ヶ月の間に退化した筋肉を戻すリハビリも兼ねてすぐに修行へ戻ったのですが、

 

目をそらすことのできない大問題は車の運転ができないことです。

 

日本の盆栽業に車は必須だと思いますし、親方や多くの先輩も同意見でした。

「他の仕事を探すべきだ」

そう諭される日々も盆栽の練習を続けていましたが、2012年、盆栽、辞めました。

なぜ死ななかったんだ。屍のように生きるくらいなら死んでおけばよかった。

大好きだった盆栽の作業すら楽しめなくなっていたのです。

望みは絶え、夢も希望もなくなっても腹は減るものです。「やりたいこと」をなくしても日々のご飯を食べるために働こうと仕事を探しましたが、「サングラスを外せない。免許なし。気狂。」

 

「本物のポンコツ」を実感しました。

 

世界中の誰にも必要とされていない感覚を体験した人が何人いるでしょうか?

まだ海外に行っていない時分の「世界中」がどれほど小さいものだったのかと思いますが、それでも当時の気狂を取り巻くすべての世界が、軽蔑し蔑む視線を向けているように感じました。

 

数週間後、名古屋の愛知園の園主、じゅん先輩から電話があり話をする機会がありました。

 

「盆栽を触りたいです」

 

そう言った気狂に半年間で数本の木を触らせてくれました。

 

盆栽をいじれる幸せを噛み締めるために、月に数日愛知園で練習を続けさせてもらいました。

 

 

 

半年間、愛知園や他の幾つかの園と数件の個人コレクションを触らせてもらっていましたが、この五葉松の整枝を終えた後、ふと海外へ行ってみようと思い立ちました。

2012-11-26-

 

 

当時日本語以外の言語に無知だった気狂ですが、「オズの魔法使い」よろしく「どこか虹の彼方に」私を受け入れえてくれる世界があるのではないかと。。

最初の計画ではフェリーでロシアへ渡り、シベリア鉄道でヨーロッパへ向かおうと思っていましたが、荷造り中にオーストラリアからメールを頂き、行き先が決定しました。

 

今後忘れることはないでしょう。2013年2月、幼い頃に夢見たここではないどこかを探し始めた日は13日だったかな?

少しの盆栽道具と着替えを持って飛び出した日本ですが、日本が嫌いなわけではありません。

むしろ大好きです。ですが、知らない世界を知りたいと思うのは少数派でしょうか?

海の向こうにまだ見ぬ知らなぬ世界があることを知っている。

この道の向こうは行ってみないとわからないと知っている。

何も変わらないかもしれない。

何もないかもしれない。

けど、何も変わらなかったとか、何もなかったと知れたとしたら、

それは得られなかったものを得たのとどう違うのか。。

 

修行を始めた時、多くの先輩に何時に寝ていたのか聞いて、一番睡眠時間が短かった先輩よりも練習しようと決めてがむしゃらに4年間を過ごしてきました。修行中の練習量だけなら負けない自信があった。それでも通用しなければ野垂れ死で構わない。

修行を途中で投げ出した半人前の私には、とても生きた心地のしない日本にしがみつくより、知らない世界を垣間見て挑戦した者としてカンガルーに蹴り飛ばされて荒野で人知れず干からびる方が死に損なった甲斐がある。

 

死ぬ覚悟で生きる道を探してみました。

 

存外、生きていけました。

活き活きと生きていけました。

 

3年間で訪れた国は約30ヶ国

デモンストレーション数十回

ワークショップ数十回

いじった木の数 わかりまてん

友だち いっぱい

 

 

 

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